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西のりひと劇場(少年〜青年時代)

1.「苦労した少年時代」


西のりひとは昭和38年8月11日に生まれました。 少年時代に、父親の家業が失敗 貧困生活の中で、病身の母親を守るために、小学生ながら新聞配達で必死に家計を支え 「今に見ておけ!負けてたまるか!」 と歯をくいしばり、頑張ってきました。 また、青年時代にも 「いつかはもっともっと人の為に働ける自分になろう!」 と決意して仕事をしながら、夜は夜間大学にも通いました。 「人の気持ちがわかる西」は、青春時代の苦労を糧に育ったのです。
 

2.「政治と行政の限界を破る」


青年時代は、港区役所に23年勤務しました。 その間、住民サービスの現場に立ち、「誠実に一人一人を大切に」にをモットーとして、親身になって生活相談にあたってきました。 ある時、体の不自由な年配の壮年を担当した際に、その方から 「お風呂や食事などの身の回りのお世話は介護サービスで受けることが出来るが、それ以外の事は全て自分でしなくてはならず生活が大変だ。」 という現状を聞きました。 西青年は、すぐさま、何とかしたいと介護関係の方に直接交渉。 その方も、西青年の真っ直ぐな人柄と熱意に心を打たれ、積極的なサービスを約束してくれました。 新聞配達をしていた「苦労人の西少年」は、心に決めた通り「人のために働く西青年」へと成長していました。
 

3.「口先よりはまず行動を」


西青年は、あの阪神大震災の時、自分のことはさておき、すぐさま神戸の現場に駆けつけました。 必死で瓦礫の中から人々を助け、クタクタになった体で、 「困っている人がまだまだたくさんいる!一人でも多くの人を助けるんだ!」 と懸命に救助活動を行いました。 しかし、現場で目の当たりにした行政の対応の遅さと政治の矛盾に愕然とします。 「現場に必要なのは、今、目の前で困っている人を助けることなんだ!」と一人悔し涙を流しました。 西青年は、 「口先よりはまず行動を!」 とのモットーを今まで以上に意識して取り組むようになりました。 そして、今、西はこう語っています。 「当時のことは、今でも鮮明に覚えています。市会議員になるというこの大きな決意・決断が出来た原点はそこにあるのかもしれません。」 「苦労人の西」「人のために働く西」「口先ではなくまず行動する西」は 「安心の西」 「情熱の西」 「誠実の西」 としてこの港区のために現場に足を運び、港区中を走り、より良い港区へと変えていきます!

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